大抵の人はそうだと思う。私もそうだ。出した自分の年賀状って意外に持っていない。データとして持っている年賀状はあるかもしれない。だが、アナログの手書きとなるとそうはいかない。この十数年は殆どがMacintoshで作ったものなので、探せばあるかもしれない。それ以前だと全くない。
最近、ひっそりと「私の年賀状コンテスト」を開催した。公募ガイドに出したので、インターネットで募集した訳ではないが、分厚い原稿用紙が送られて来て、必死で読み込んだ。みんなそれぞれに色々なこだわりがあるものだと感心した。年輩の方ほど、恐ろしいほどに凝った年賀状が多くてびっくりした。まるでプロかと思うほど意欲的なものばかりだ。
その中で入選に選んだ「私の年賀状、寿新聞」は実に異色だった。何より面白い。こんな年賀状を受けとったら毎年楽しみにする事請け合いだ。自分で作る楽しみ。もらって楽しい年賀状の両方を兼ね備えている。年賀状なんてめんどうだ…とは誰しも思う。そんな中で、これを12年以上続けている事に頭が下がる。そして、年に一度しかこんなチャンスはない。そのチャンスを見事に活かしきっている。
二十何年か前に結婚した時に出した自分の年賀状を思い出した。その時、もらった人は皆驚いていた。こんな年賀状は初めてもらった…と。アナログで描いた絵と文を印刷して送ったのだが、一こまマンガになっていてオチをつけて描いた。親戚も友人もない。全部同じ年賀状を送ってやった。だけど、その年賀状は手元にない。とにかくびっくりしたと電話があったり、人がきたりした事だけ覚えている。
だが、2年と続かなかった。とてもできやしない。デザインの仕事を始めてしまった事もある。自己主張する必要性も薄れていた。だから12年間続ける事の難しさがよくわかる。「寿新聞」面白いです。是非読んでみてください。
最近のコメント